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憶測
しばらくはタイトル2文字縛りにしようかとww


先日
ある人のブログを見た
(彼らはたぶん、私が見ていることを知らない)

そこには
自分の価値や存在意義
また、今の、いわゆる“ステータス”を全て失ったとしたら、周りは離れていってしまうのだろうかという不安
そして最後に、(恐らく私だと思われる)その人は今、そういう、(まぁスノウ流に言ってしまえば)“何もない状態”にいるんだ、それってどれほどつらいだろうかっていう
彼(いや彼女か?)を慮る文章が続いていた


読みながら、自然と
涙が溢れてきた


私はどれだけ思いやりのある人と出会えたのだろう
私のつらさをわかってくれる人が、ちゃんといたんだ
そう思っていた
嬉しくて、涙が出たのだと

以下
私のこれまで、また今現在を知っている方は
読まないことを強くお薦めします、むしろ止めたいくらいなので(じゃぁ書くな、という話だがorz)







だけど
そんな“嬉しくて”っていう理由に
どこか納得しない、腑に落ちない自分がいた

ほんとに…ただ、純粋に、嬉しかった、だけか?

恐る恐る、この、何とも言えない感情を辿ってみると
ある記憶が、甦った


それは、小学生の時…5年生か、6年生だったと思う

私はその頃、比較的物語を書くのが好きだった子供で
ある休み開け、家庭学習のついでにと、自分が話を書きかけたノートを(親にも誰にも見せたことはなかったが)担任に見せたことがあった
数日してそのノートが返ってきて、担任の感想というか、コメントを読んだとき

気付いたら、ぼろぼろに泣いていたのだ
特に酷いことも、かといって感動させられるようなことが書いてたわけでもなく、至って普通の感想だったが
なぜか受け付けられず、1度読んだきり、もう2度と、そのコメントを読まなかった記憶がある(今思えば超絶・劇的に酷く、どうしようもない話であるorz)

なぜか

もちろん、自分が書いたものを初めて他人に見せ、それに対してきちんと返事が来た、認めてもらえた
という嬉しさ、喜びもあったが
それよりも
…認められたくなかった
という想いの方が、強かったんだと思う

私が書いたものを、そう簡単に理解されてたまるか
それなのに、わかったようなこと書くな

…たぶん、そんな感じである(重ねて言うが、なんて救いようのない子供だっただろうか)


前置きが長くなったが

涙が溢れた時の感情は
背景こそ全く異なるものの
この記憶と、寸分違わなかったのだ

勿論、今の私の状況・状態・心情を、完全にわかる、はやはり無理だとしても、わかろうとしてくれている、そういう人がいる喜び、嬉しさ、有り難さも、痛いほど感じていたが

それよりも
所詮生きてる世界が違う人達が、思いやってくれたような、わかったような口利くな
私が今感じていること・考えてることが、そう簡単にわかられてたまるか

そんな想いが数倍、いやそれよりももっともっと、大きかった


そんなふうに感じるなんて
やっぱり自分、素直じゃないな、というか、相当歪んでるな、って思う
さっきも言ったように、もちろんそういう優しさだって、身に染みて、わかってるつもりだが


純粋な謙遜は時に嫌味になり
無垢な優しさは時に残酷である



そんなこと嘆いてるだなんて
やっぱり今でも私は救いよう無いんだろうが

だけど今だけは嘆かずにはいられない

嘆かせてくれ
posted by snowdressed | 09:48 | - | comments(0) | trackbacks(0) |
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